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貝楼諸島アンソロジー

カテゴリー │ホンの話

犬と街灯さんが企画されたアンソロジーに参加させていただきました。

貝楼諸島へ
貝楼諸島より





 

二冊目の電子書籍を出しました。

カテゴリー │闘病記

貞久 萬『死にたい君とわがままな僕』

これは統合失調症を発症した妻と僕の話です。物語に救いも希望も訪れることはありません。どこかにあると勘違いするしかありません。

物語ですが小説ではありません。ノンフィクションです。
いろいろな思いもありまして、無料で出すことにしました。





 

電子書籍を出しました

カテゴリー │ホンの話

いろいろと書きためた短編を集めて電子書籍を出しました。

『すでに失われてしまった物語 その他の物語』 貞久 萬

です。

原稿用紙6枚以内で書かれた掌編集ですので、どのはなしも5分程度で読み終えることができます。

19日まで無料キャンペーンを行っています。




 

至高聖所

カテゴリー │ポプラ文庫

本の感想などをブログで書いていると、ごくまれにコメントをいただくことがある。
ごくまれ、という部分が結局は僕の文章のつたなさや内容の無さからなのだろうと思っている。それはさておき、ごくまれにコメントをいただいて、さらにごくまれにおすすめの本を紹介されることもあるのだが、それはそれでありがたいと思う一方で、年々、本を読む速度が遅くなり、それに反比例する形で読みたい本が増えていくので、おすすめされてもいつ読むことができるのかわからないという状態だ。
もっとも、優先順位をずらして、先に読んでしまえばいい話なのだが、いざ読んでみてそれが僕の好みの本ではなかったとしたら、と思うと躊躇してしまう。
昔は、読んでつまらなかった本も、どこがつまらなかったのかをできるだけ詳しく書いてブログに上げていたが、途中で止めてしまった。
つまらなかった本の感想を、どこが駄目だったのか丁寧に書いてブログ記事するというのはそれなりに手間のかかることだし、その記事を読むほうもあまりいい気持ちはしないだろう。だったら面白いと思った本のことだけ書いたほうが気分も良い。
そんなわけで、読んで面白くなかった場合、どう返事をすればいいのだろうかと悩んでしまうのだ。
せっかくご紹介してもらったのですが、私には合いませんでした。
と書くべきか。それだったら何も書かない、いやまだ読んでいないふりをしたほうがいいかもしれない。
『至高聖所』はかれこれ8年ほどむかし、とある人から読まれたのであれば少し感想を聞きたいと言われた本だ。
その時点ですでに絶版だったので、もっとも古書で手に入れることは可能だったが、その時の自分に期待されるような感想を書くことができるのか自身がなかったので、そのままにしてしまっていた。いや、つねに心の何処かではいつかは読まないといけないなあと思ってはいたのだが、なかなかネットでこの本を買おうという勇気を出すことができなかった。
そうこうしているうちになんと復刊したのであります。
正直いえば8年前の自分が感想を書く自身がなかったのと同様、今の自分も期待にそえるような感想を書くことができるのかといえば、まったくない。むしろ8年前のほうがまだ書くことができたんじゃないかと思うくらいだ。
と、いいわけはこのくらいにしておいて。
「僕はかぐや姫」は読み始めて戸惑ってしまった。というのも主人公は自分のことを「僕」と言っているのに主人公は男の子ではなく女の子なのだ。しかし考えてみればタイトルからして、かぐや姫であり、かぐや姫は女性である。そして「僕は」かぐや姫であると言っているのだから女性だ。
かといって主人公は性同一性障害というわけではない。ひょっとしたらそういうニュアンスも含んでいるのかもしれないが、それは考え過ぎなのだろう。女性という性別に対して未分化であるということだ。
そこで、ああそうか、だからこの後に『紫の砂漠』という物語が書かれたのだと納得した。
さて、「至高聖所」である。
「僕はかぐや姫」が高校生であったのに対して「至高聖所」は大学生と少し年齢が上がるが関連性はない。
総合大学に入学した主人公は寮生活をする。寮は二人部屋だが、主人公の同部屋の相手は入学式を迎えても引っ越しをしてこない。大学生活が始まってかなり経ってからようやく引っ越しをしてくるが越してきて早々、金曜日になってもまだ寝ていたら起こしてと主人公に言って寝てしまう。まだ火曜日だというのにだ。
主人公とはちがい、かなリ癖のある人物であるが、かといって主人公が彼女に振り回されるというわけでもない。同部屋でありながら双方ともにある程度の距離を保ったまま共同生活を行っている。
この適度な距離感が良いことなのかどうなのか。良くも悪くもそれは主人公の性格からくるもので、この距離感があることで二人の人生というものは混じり合うことがない。
それは主人公が興味を持っている鉱石と同じで、硬く、他者を受け入れることをしない。
そういうわけでこの物語は不思議な空気感を醸し出している。


 

新入生のためのひねくれ文学リスト

カテゴリー │ホンの話

奇妙な世界の片隅でさんの新入生のための海外幻想文学リスト経由で海外文学読書録さんの新入生のための海外現代文学リスト(2018年版)漂着の浜辺からさんの学生のための海外文学リスト50+4知って、自分も作ってみたくなりました。

といってもすでに6月。新入生向けというにはだいぶ遅い感じですが、そのあたりはとりあえず気にしないことにして、ラノベに飽きた学生向けというテーマでどういう本を選ぶかというのは意外と難しい気もします。ラノベに飽きたというよりもラノベ以外の本はほとんど読んできていなかった人向けのほうが選びやすいかなということでそういう人向けで考えてみました。
次に問題にはなるのはこの手の場合、入手しやすいものを選ぶかどうかという問題ですが図書館もありますし、インターネットなどなかった時代ならともかく、今ならばネット検索すれば後はお財布との相談でなんとかなります。本を読むということはその本を探すというところから、いや正確にいえばその本の存在を知ったところから始まるのではないでしょうか。
ということであえて入手困難な本を中心として7作品ほど選んでみました。


新入生のためのひねくれ文学リスト

1.『キンドレッド 絆の召喚』オクティヴィア・E・バトラー 山口書店

ご先祖様を救え。
主人公はタイムトラベラー。ご先祖さまに命の危険が迫るとき、自分自身の存続を守るために過去にタイムトラベルをし、ご先祖様を助けるのだ。
しかし、主人公は黒人女性。ピンチになるご先祖様のいる時代は奴隷制度のバリバリのアメリカ南部。黒人は許可証なしではひとり歩きもできない時代である。助ける方もピンチだ。というか、ご先祖様よりも私の方がピンチじゃないの!
ご先祖様は私が助けるとして、私のピンチは誰が助けてくれるの。未来から私の子孫は助けに来てくれないの?
なおかつご先祖様は白人の少年。どうやら主人公には白人の血もながれているらしいのだが、それがなにかの助けになるのかといえばまったくない。それどころかご先祖様は差別意識満タンの白人なので助けてもらっても感謝のかの字もない。
タイムトラベルは主人公の意志とは無関係にご先祖さまがピンチになると自動的に発動する。では元の時代に戻る手段はというと、今度は主人公が命の危険にさらされたときなのだ。行くのも地獄、帰るのも地獄。ご先祖様が子孫を残すその日まで主人公はご先祖様を助けるためにタイムトラベルをしなければならない。


2.『信ぜざる者コブナント 破滅の種子』ステファン・ドナルドソン 評論社

主人公はハンセン病患者。転生したら病気も治っていて、魔法も使えるらしくってさらに英雄として奉られている。
「でも、信じない」
この物語が書かれた時代はハンセン病に対する差別がまだ激しかった時代。主人公の家の前には定期的に食料が置かれる。それは町の人の親切心からではなく、主人公が食料を買いに外に出てきてもらっては困るので外に出なくてもすむように食料品を置いていくのだ。で、あるとき主人公は殴られて気絶し、気がつくと異世界に転生していた。
その世界での主人公は健康体で魔法も使えるらしい。魔法の使い方はまだよくわかっていないけれども、魔王に魔の手にかかっているこの世界を救う救世主として奉られる。みんなが英雄として扱ってくれるのでやりたい放題だ。
「でも信じない」
主人公はこれはなにかの間違いだ、これは夢だと決して信じようとしない。信ぜざる者である。
そんな物語が面白くなるのかというと、ギャグのような設定でありながら非常にシリアスで、違う意味で重苦しく面白い。

日本では第三部までしか翻訳されていません。残りの二冊のタイトルは
『信ぜざる者コブナント 邪悪な石の戦い』
『信ぜざる者コブナント たもたれた力』
です。


3.『半球の弔旗』レジス・メサック 牧神社

人類は滅んだ。
生き残ったのは男の子7人、女の子1人。
これが逆だったら男の子のハーレム状態なのだろうけれども、もちろん女の子にとっては逆ハーレム状態なのでそれはそれは楽しい世界になるのかもしれないが、レジス・メサックはそんな話など書かない。
実は大人の男性が一人いて、彼がこの物語の語り手なのだ。じゃあちょっと展開が違うじゃないかと思うかもしれないけれども、この物語は想像の斜め上を行く展開をする。
主人公は家庭教師で生徒たち十数人を引き連れて高山地方の洞窟にピクニックに出かける。その最中に戦争が起こり、人類は滅亡して、主人公と十数人の子供たちだけが生き残ったという設定である。では主人公が大人として子供たちを導いていくのかと思いきやそんなことはしない。主人公はすでに諦めてしまっていて傍観者として子供たちをみているだけである。いっぽう子供たちは子供たちで、自分たちで唯一の女性である女の子を中心とした社会を作り上げていく。女性の方が強いので、女王様とお呼び、の状態である。
さらには導いていく大人がいないので、子供たちの社会は自己中心的だ。女王様の寵愛を受けようとして男の子たちは嫉妬や妬みで殺し合い少しずつ人数が減っていく。
おいおいそれじゃあ人類が滅亡してしまうじゃないかという読者の気持ちなどおかまいなく、彼らは好き勝手に生きていく。彼らにとって人類の滅亡など関係ないのである。


4.『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』 鈴木悦夫 偕成社

僕は退屈だったのでみんな殺した。
私も退屈だったのでそんなあなたを陰ながら応援して、そしてあなたを操った。
幸せそうな家族を襲った悲劇。
お父さんが殺され、お兄さんが殺され、お母さんが殺され、友達が殺され、お姉さんが殺され、最後に僕が生き残った。そりゃ犯人は僕だからだ。
ライトノベルの次に読む作品ということだが、この作品は児童小説である。通常は児童小説->ライトノベルという方向に進むのだろうけれども、逆方向に進むのも悪くない。というかこの小説は児童小説の極北に位置しているのでかなり特殊だ。
ミステリ仕立ての物語だが読んでいけば推理しなくっても犯人は予想がつく。意外な動機も面白い、しかし一番の衝撃はラストのお姉さんの手紙だ。家族の愛に満ち溢れているというか姉と弟の禁断の愛が暴露される。読み終えてみるとこの家族がいびつな愛に満ちた家族だったことがわかる。


5.『京城・昭和六十二年―碑銘を求めて』卜鉅一 成甲書房

もしかしたらこれは本当の歴史なのかもしれない。
日本の社会において嫌韓という感情が根強く残っている。一方で外国においても反日という感情が存在している。
この本は伊藤博文が暗殺されなかったとしたら、朝鮮半島の統治は今も続いていたのかもしれないという仮定のもと、今もまだ日本による統治が続いた世界を描いた物語だ。書かれた時代が1987年、つまり昭和62年のことなのでタイトルどおり物語の時代も昭和62年である。
興味深いのはこの物語のどこにも反日という思想が見えてこないということだ。作者は韓国人。登場人物たちはあくまで日本による統治をごく自然に受け入れて、そして平穏に生活をしている。日本の支配によるディストピア化した社会でもなく、かといって今よりも素晴らしい社会でもない。主人公は妻子がありながら部下の女性に恋心をいだいていたり、詩を書くことを趣味としていて作中に自作の詩が差し込まれていたり、アメリカ企業との併合に奮闘したりとごく普通のサラリーマン小説といってもおかしくない物語だ。違うのは統治しているのが日本であるというだけである。ただ韓国という国は存在しない。韓国古来の言葉は完全に消滅しだれもその言葉を知らない。
そんな中、主人公は見知らぬ言葉で書かれた一冊の本と出会う。今は存在しないもう一つの国のことが描かれている。
静かで抑えた筆致でありながら重厚なこの物語は強烈な自己主張をしないがゆえに読み手のほうが考えなくてはならない気持ちにさせてくれる。


6.『しろいくまとくすのき』文 川島誠 絵  長新太 文溪堂

初心に戻って絵本だ。
登場人物は、というか登場するのは動物である。
主人公はまっ白なクマの子供。まっ白で生まれてきたために母親に捨てられひとりで生きてきた。そんな主人公の唯一の友達は、崖から落ちそうになったところを助けたイノシシの子供だけである。
主人公が暮らす森にはクマの仲間たちもいるのだが、白いからだの主人公は仲間に入れてもらえない。
そんなあるとき、人間たちが森を襲ってきた。白いクマはそれまでクマたちと敵対していた狼と協力して人間たちを追い払うことに成功する。大活躍をした白いクマはクマたちに認められ仲間として受け入れられる。しかし、人間の魔の手を防ぎ平和になった森の世界で狼とクマは再び敵対し始め、狼と友達である白いクマはクマたちからのけものにされてしまう。一方で友達だったはずの狼たちからも白いクマはクマたちの仲間とみなされ、友達のイノシシは見せしめに殺され、とうとう白いクマは友達の狼と戦わざるを得ない状況に陥る。
すべてを失った失意のなか、白いクマはクマになんか生まれなければよかったと自己否定する。
友情も努力も共生も、さらには生まれてきたことも否定するとんでもない話だ。


7.『チリの地震-クライスト短篇集』H・V・クライスト 河出書房新社

たった一人でナポレオンの暗殺を企てたり、ゲーテに対抗する劇作家にとなろうとしたりと志だけは高かったけれども、何をやってもうまくいかない人生。最後は愛人の人妻と心中して34歳で亡くなった作家の残した作品。
作品と作者は別物として考えるべきなのだけれども、H・V・クライストの場合は同一に考えてみてもいいんじゃないか、そんな気持ちにさせられる。
表題作の「チリの地震」はタイトル通り、チリで起こった地震の様子を描いたある種のディザスター小説。登場人物たちは虫けらのように死んでいく。何をやってもうまくはいかない。
「拾い子」の主人公は、あまりにも悲劇的な出来事が続いたせいで憎しみの余り殺人を犯すが、教会で告解をすれば罰せられずに済むにも関わらず、告解せずに自ら地獄に堕ちようとする。自分の罪を悔いて地獄へ行くつもりなのかと思いきや、想像の斜め上をいく心情を吐露する。それは、自分が殺した相手が地獄に堕ちたので自分も地獄に堕ち、地獄へ行ってまでも復讐の続きをするためなのだ。あまりにも直情的というか激情的すぎる主人公だ。
次々と意外な展開が続く「決闘」では、どちらの言い分が正しいのか皇帝陛下の命による決闘が行われ、ようやく勝負がつくのだが、負けた方の言い分がものすごい。
「自分は負けたかもしれないが死んではいない、だからまだ決着はついていないのだ。」
負けたと認めない限り、何がどうあっても負けないのだ。ある意味素晴らしい。
「話をしながらだんだんに考えを仕上げてゆくこと」というエッセイでは、なるほど、書きながらとか、話ながら考えがまとまっていくことってあるよねと、読み進めていくと最後にあるのが「未完」という文字で、唖然とする。全然まとまっていないじゃないか。




 

『恐怖』 コーネル・ウールリッチ

カテゴリー │ハヤカワ・ミステリ文庫

コーネル・ウールリッチあるいはウィリアム・アイリッシュの作品で面白いのは1948年までに書かれた作品だという意見がある。
短編はさておき、長編に関していえば『喪服のランデブー』が1948年の作品で、いわゆるブラックシリーズは全て1948年以前に書かれたものだ。『暗闇へのワルツ』『幻の女』もそうである。
一方で『恐怖』はというと1950年で傑作から外れた作品になる。
僕は1948年以前に書かれたものは読んでいるので未読の作品はこれ以降、つまり全盛期の作品に比べれば少し落ちる作品しか残っていない。
まあ、最初から期待をしなければいいわけなのだが、読んでみるとさすがにちょっとつらい部分もある。
主人公は婚約者がいながらも、その婚約者とのデートが相手の都合でできなかった夜、行きずりの女性と一夜をともにしてしまう。それが全ての始まりで、それっきりで済んでいたのであればよかったのだが、その後で、その女が主人公のもとを訪れ、ゆすりをしたことから主人公の転落は始まる。一回限りのゆすりが一回で済むはずもなく、女は結婚式直前の主人公のもとに現れ脅迫をする。
そして気がついたときには女は死んでいた。
死体をクローゼットに隠し、とりあえずは難を逃れた主人公だが、愛する女性と結婚することができたにもかかわらず、死体が発見されて警察の手がまわるかもしれないという恐怖に苦しめられる日々を送ることになる。
ウールリッチの本領発揮といったところで、自業自得の結果とはいえ主人公目線であるがために読んでいて辛くなってくる。見知らぬ人間の何気ない仕草が主人公にとっては怪しい仕草に見え、そして恐怖から逃れるために殺人を犯してしまうのだ。
どんどんと転落していく主人公。どう考えても破滅の道をあるき続けているしかないし、ハッピーエンドにはならない物語。そして考えうるもっとも悲しい結末を迎え、そこから始まるエピローグは辛く切ない。

とここまでは良かった。そもそも電子書籍化されてしかも半額セールになったときに買った本だからなのだが、別件で過去の自分のブログを調べなおしていて驚くべき事実を知ってしまった。
未読の山脈にて
なんと既に一度読んでいるではないか、この本。




 

『わたしのカイロス』

カテゴリー │漫画

主人公はいわれなき罪によって咎人として「剣闘刑」を科せられた少女。
「剣闘刑」とは咎人同士、あるいはそれ以外の生物との戦いを強いられる刑罰で負ければその時点で死ぬこととなる。逆にいえば勝ち続ければ生き続けることができるのだが、主人公はごく普通の少女で武術の達人でもないし戦いの仕方すらもわからない。
咎人はスターゲイザーと呼ばれる空間転移方法を使って様々な惑星に移動し、そこで運営者によって決められた組み合わせで戦うこととなる。そして勝ち続けていけばやがて恩赦を受けることができるといわれている。
しかし、恩赦を受けて解放される以前にどう考えても最初の戦いで死ぬしかない主人公だが、最初に降り立った惑星でカイロスと名乗る少年と出会ったことから道がひらけていく。
絵のタッチからは判断できないほどシリアスなSFであるがその一方で絵柄の雰囲気を損なわないユーモアとほのぼのとした部分もある。
時として垣間見せるグロテスクさは、それがSFであるという点も踏まえて、木城ゆきとの『銃夢』に近い雰囲気なのだが、絵柄は対極的だ。
様々な惑星を渡り歩いて戦い続けるという展開からいくらでも話を続けていくことができるのだが、3巻で完結となった。
主人公を咎人として「剣闘刑」に追いやった人物との対決やスターゲイザーの謎、とそれまでのもやもやとした部分にしっかりとした解明と十分なエピソードを描ききって最後はハッピーエンドと、楽しませてもらった。
『彼方のアトラス』にはなかった悪人の毒々しさとグロテスクさというのがこちらには存在していて、完成度の高さとしては『彼方のアトラス』だけれども好みとしては『わたしのカイロス』のほうが好みかな。





 

アメリカン・ウォー

カテゴリー │新潮文庫


戦争は銃で戦うが、平和は“物語”で戦うものだ


この作者も物語の力というものを信じているのだろう。

上下巻あわせて約600ページ。
分冊しなくてもいいのではないかと思うページ数だが、それはともかくとして近未来のアメリカを舞台とした物語ということで想像するほどSFらしさはまったくない。
どういう未来なのかといえば、温暖化防止のためにアメリカ全土で化石燃料の使用を禁止するという法律が制定された結果、経済活動を化石燃料に依存している南部の州が独立を宣言し内戦状態になったというだけで、その他にSFらしいガジェットは無人の爆撃機と太陽光発電での乗り物くらいだ。
現実には起こっていないとはいえ、ありえるかもしれないと思えるだけの説得力はあって、というのもアメリカではかつて奴隷問題で南北戦争が起こった国だという理由もあるのだが、歴史の大局を描くのではなく、あくまで一家族の姿を中心として描くことによって、主人公一家の感情というものがストレートに伝わってくるからだ。
そして、作者がジャーナリストだからというのもその一因だろう。
主人公一家にやみくもに感情移入をさせるような書き方をするわけではなく、主人公自身の悲劇を客観的に描くことで、主人公が何故そのようなことをしたのか、そしてそこまで行わなければいけなかったのか、を読者に問いかけてくる。
憎しみは憎しみを産む。どこかで憎しみの連鎖を断ち切らなければいけないのだが、社会が生み出した憎しみに対して、それを断ち切るのは個人なのだろうか、個人がそれを断ち切るということをしなければいけないのだろうか。









 

来月の気になる本

カテゴリー │ホンの話

河出文庫『鉄鎖殺人事件』浜尾四郎
文春文庫『キリング・ゲーム』ジャック・カーリイ
ハヤカワ文庫SF『日本SF傑作選(2)小松左京 神への長い道/継ぐのは誰か?』日下三蔵
ハヤカワepi文庫『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ
創元推理文庫『太宰治の辞書』北村薫
双葉文庫『3時のアッコちゃん』柚木麻子
双葉文庫『猫が足りない』沢村凜
講談社文庫『愛についての感じ』海猫沢めろん
講談社タイガ『バビロン(3)―終―』野崎まど
創元SF文庫『スチーム・ガール』エリザベス・ベア
角川文庫『ヘブンメイカー』恒川光太郎
ハヤカワ文庫JA『ユートロニカのこちら側』小川哲
創元推理文庫『太宰治の辞書』北村薫
南雲堂『奇想天外アンソロジー復刻版』山口雅也編
南雲堂『奇想天外アンソロジー21世紀版』山口雅也編
文藝春秋『13・67』陳浩基
ハヤカワSFシリーズ『隣接界』クリストファー・プリースト
竹書房文庫『A Night in the Lonesome October』ロジャー・ゼラズニイ

来月はちょっと気になる本が多すぎる。
文春文庫からはジャック・カーリイの新作が出る。ジャック・カーリイの小説って最近の海外のミステリと違って400ページくらいでコンパクトにまとまっているからいいよねえ。
ハヤカワ文庫の日本SF傑作選の二巻目は小松左京。このシリーズは短編集だと思いこんでいたので『継ぐのは誰か?』が入るのはちょっと驚いた。他の作家もひょっとしたら長編が入るのかもしれないね。
『わたしを離さないで』がSF的な設定の物語だったカズオ・イシグロの次の作品『忘れられた巨人』はファンタジー要素のある話。
野崎まどの『バビロン(3)―終―』は今度こそ出るのか、心配なのだが、これだけ発売が延びているってことはなかなか難産なのかもしれない話なのだろうか。
創元SF文庫からはエリザベス・ベアが出る。ハヤカワSFから出た《サイボーグ士官ジェニー・ケイシー》シリーズは微妙な話だったのでもう翻訳されることはないだろうと思っていたが、そうでもなかったようだ。
北村薫の『太宰治の辞書』は<円紫さんと私>シリーズの新作。単行本は新潮社から出たのだが文庫は古巣の東京創元社から出る。単行本の表紙も東京創元社の過去のシリーズの表紙を踏襲していたけれども、微妙に違っていて今回の文庫は完全に統一されているからこっちのほうがしっくりとくる。
かつて『奇想天外』という雑誌が存在していた。
しかし僕は名のみ知ってはいたが買ったことも読んだこともない。
地方に住んでいると書店ではマイナーな雑誌が置かれるということはほとんどなかったせいもある。
しかしこの『奇想天外』という雑誌は意外に人気があるようで過去に二度復活している。
で今回は復刻版と21世紀版という二冊がでる。おそらくはこれっきりの企画だろうけれども、こういうものはなんだかワクワクする。
ちょっと変わったタイトルの『13・67』は中国語ミステリ。中国ミステリではなく中国語ミステリなのは台湾で発表された本だからなのだろう。ミステリだけではなくSFも書いているらしいのでSFの方も気になる。
竹書房文庫からでるロジャー・ゼラズニイはまだ邦題が付いていないのでほんとうに来月でるのか不明だが、まさかロジャー・ゼラズニイの未訳が今になって出るとは思わなかった。

続いて漫画。

アフタヌーンKC『小路花唄(2)』麻生みこと
バンチコミックス『プリニウス(6)』ヤマザキマリ/とり・みき
フラワーCアルファ『たーたん(2)』西炯子
ビッグ コミックス『バイオレンスアクション(3)』浅井蓮次
月刊マガジンKC『さよなら私のクラマー(4)』新川直司
少年サンデーコミックス『双亡亭壊すべし(6)』藤田和日郎
少年チャンピオン・コミックス『レイリ(4)』室井大資
イブニングKC『累(12)』松浦だるま
モーニングKC『ゴールデンゴールド(3)』堀尾省太
ヤングアニマルコミックス『木根さんの1人でキネマ(4)』アサイ
ビッグ コミックス『レインマン(6)』星野之宣

麻生みことの『路地恋花』の続編『小路花唄(2)』が出る。『路地恋花』が毎回登場人物が変わるのに対して、今回は登場人物を同じにして展開する。
浅井蓮次の『バイオレンスアクション』も早くも三巻目。前巻が非常に気になるところで終わってしまったので続きが出るのはうれしい。
というか『バイオレンスアクション』の原作者って和歌山在住の兼業主婦って触れ込みの謎の新人原作者だったのだが、『レイリ(4)』の作画担当している室井大資だったということを知って驚いた。
『レイリ』では岩明均を原作者として、自分は別の漫画の原作を担当していたなんてびっくりしたよ。


 

川沿いで未来からやってきたというネコに会ったけど、これといって特別感はなかった。

カテゴリー │漫画

やたらと長いタイトルの本だ。

しかし長いからといって過去最長の長いタイトルの本ではない。
しりあがり寿が帯で絶賛しているが、絵柄はどことなくしりあがり寿っぽい部分もあり、花くまゆうさくっぽい雰囲気もあるがこの二人が持っている癖の強さはない。
だからといって万人受けする漫画なのかというとそうでもないのだが、とりあえず読んで欲しいといいたくなる作品だ。
うんこをすると記憶喪失になってしまう男の話とか、地底人になってしまう奇病に冒されてしまった野球好きな少年の話とか、いろいろな生物を殺しては、捨てられた電化製品の部品を使って機械の体にして生き返らせるフランケンシュタインの怪物の話とか、むき出しの人工頭脳を普段はかつらをかぶってごまかしているアンドロイドが、風でかつらを飛ばされるたびに人工頭脳をフルに働かせてかつらを取り戻す話とか、変な話が多い。
うんこをすると記憶喪失になってしまう男は、序盤で便意を催し、記憶を失ってしまうのだが、なにか食べ物を食べるたびに少しずつ記憶を取り戻していく。お腹いっぱいになると全ての記憶をとりもどすのだが、そのころになると便意を催し、結果としてまた記憶を失ってしまう。
フランケンシュタインの怪物は生き物であればなんでも殺してしまうのだが、不法投棄された家電製品をエコ活用して機械の体として生き返らせる。それを見た主人公は、フランケンシュタインの怪物が行っている悪いことと良いこととを比較して結果、良いことをしている方が多いので、その行動を肯定してしまう。
最終話はこの本のタイトルにもなっている未来からやってきたネコと出会った主人公の話だが、タイムトラベルを行うネコというとてつもない設定でありながら、何事もなく物語は終わる。まさにタイトルに偽りなしである。