有永イネの二冊
有永イネの新刊が二冊同時に出た。
前作の『かみのすまうところ。』が完結してからしばらく音沙汰無し、といっても僕の場合は雑誌連載を読むのではなく単行本になってから読むうえに作者のサイトを定期的にチェックするといったようなことも行なっていないので単に知らなかっただけなのかもしれないが、新作が出なかったのでちょっと気になっていたので嬉しい誤算だった。
同時二冊といってもシリーズ物が1巻、2巻同時に出たというわけではなく、片方は連載中の1巻、もう一方は1巻で完結している連作短編集。どちらも同じ出版社なので狙って出したとしか思えないのだが。こうして二冊同時に出ると、有永イネという作家の振り幅の大きさがよく分かる。
おそらく世間的には『鬼さん、どちら』のほうが評価が高いだろう。
3千人に1人という確率で発症する先天性頭部突起症という病が存在する世界。先天性頭部突起症とは体の一部に角が生える病気で、殆どの場合それは頭部に生える。つまり鬼である。
しかし、この奇妙な病の存在を除けば舞台は現代の日本であり、この病は差別と哀れみと社会的な許容でもって受け止められている。有永イネの凄さは、この鬼という存在を病として扱い、社会的弱者として描いたところだ。
結果として、桃太郎や一寸法師といったお伽話は禁忌として扱われ、節分という風習も無くなってしまう。それは社会的弱者に対する差別を無くすための社会的な動きから発生したものなのだが、それは同時に強者からの弱者に対するお仕着せという部分も安易に存在して、弱者は弱者のままでも構わないという生き方の提示に結びつく。無理に強く生きる必要もなく、頑張ることが出来ない場合には頑張らなくてもいい。有永イネはそういった世界を優しく描いている。
もう一方の『ロボッとうさん』は、『鬼さん、どちら』と違ってギャグ漫画に近い。それでいて基本設定の部分でハッとさせられる部分があって、それはつまりロボットに感情は必要なく、感情はバグとして扱われ、感情を持ったロボットは回収させられ、その発見と報告は義務とされる社会を描いている。
この、ロボットにおける感情はバグであるという位置づけはなかなか斬新で、感情を持ったロボットが迫害されるという物語は過去においてもあったが、感情をバグとして扱うという設定は僕の記憶の範囲においては無い。有永イネがこの設定をどこまで突き詰めていくのかはわからないけれども、感情をバグと言い切ってしまうのはその対象がロボットではなく人間にも置き換えることが可能ではないのかということを考えると少し恐ろしくなる。
関連記事