『女ノマド、一人砂漠に生きる』常見藤代

Takeman

2013年07月30日 20:09


  • 著: 常見 藤代

  • 販売元/出版社: 集英社

  • 発売日: 2012/12/14

Amazon



僕はどちらかといえば、というよりも典型的な農耕民族だ。
移動して生活するよりも、地に根付いて生活するほうが好きだ。それはものを作るのが好きだというせいもある。ものを作るためにはどこかで根付いたほうがいい。さらにいえば、本の問題もある。僕は本を溜め込んでいるので、どうしても、特定の場所に根付く必要がある。地にとどまって、そしてそこから世界を見るのが好きなのだ。

ノマドワーカーという言葉が一時期流行った。
ノマドという言葉は日本ではもともと「遊牧民」という言葉で日本語として翻訳されている。「ノマド」を「遊牧民」という言葉にするのが適切なのかどうかという問題もあるだろうけれども、「遊牧民」という言葉があるのだからそれを使えばいいじゃないかと思うのだが、それはともかくとして、ノマドとノマドワーカーは似ているようで本質的には似ていないのではないかと思っている。
どういうことかといえば、ノマドは定住することが困難なので移動して生活しているのに対して、ノマドワーカーは定住しなくてもいいので移動して仕事をしているということだ。
エジプトに住む遊牧民たちは、砂漠の草があればエサを買う必要がない。しかし定住地では、ラクダ1頭を育てるのにエサ代が月100ポンドかかる。だからラクダのエサを求めて移動して生活をする。単純に比較すればそのほうが儲かるのだ。しかしその一方で、定住地で職を得て生活すれば収入の安定というものが得られる。
そしてどちらを選ぶのかは個人の問題だ。どちらが優れているというようなものではない。
この本の中で登場するイスラム教徒の老女は、1日5回の礼拝を欠かさない。そして毎回30分は祈っている。合計すれば2時間半もの時間、礼拝に費やしている。この時間を無駄な時間と感じるか、それともそうではないと感じるか。僕は特定の宗教を信仰する人間ではないのだが、この彼女の時間を無駄な時間だとは思わない。それは彼女と同じ生き方をするつもりはないけれども、彼女の生き方を否定するつもりもないからでもある。
彼女は自然はすべてアッラー(神)がつくった物だ、と言う。彼女の生き方は自然とともにあり、そして自然は神とともにあり、移動しながら生活をするという遊牧民の生活はその一部であって、この世界の一部として綺麗に組み込まれている。世界の一部として綺麗に組み込まれた時、それは一つの文化となるのだろう。

関連記事