2012-01-27

『ワールズエンドガールフレンド 』 荒川工


  • 著: 荒川 工

  • 販売元/出版社: 小学館

  • 発売日: 2011/12/17

Amazon/bk1



ワールズエンド、世界の終わり。
この本の中でのワールズエンドは世界の果てとしての意味で使われているが、時間的な意味での終わりにしろ、空間的な意味での終わりにしろ、ワールズエンドという言葉は僕にとっては琴線に触れる言葉だ。
それは、過去に何度か書いたように、僕が終末SFが好きなせいでもある。
しかし、この本は終末SFではない。双子の姉妹と、幼なじみの一人の少年との物語だ。
手にとって目次をながめてもらうとわかるように、物語を流れる時間軸は一直線ではなく、過去と現在とが断片化され、バラバラに並べられている。なおかつ物語は双子の姉妹の片方が事故に遭い、自分の名前以外の記憶を失ってしまうという話だ。
双子、記憶喪失、断片化された物語とくればどんな話なのか想像が付くのだが、ここはそんなひねくれた読み方などせずに素直に読みたいところだ。
徐々に明らかになっていく少年と双子の姉妹の恋愛模様。
物語をバラバラにしたおかげで、ページの終わりに訪れる物語の終わりは、主人公達の本当の終わりではなくなり、読み手は読み終えて再びページを戻し、主人公達の物語の終わりを探す旅に出かけなくてはならない。
世界の涯てまで行って、そして戻ってくるような話だ。  

Posted by Takeman at 17:07Comments(0)TrackBack(0)ガガガ文庫
2012-01-26

『銀色の鈴』小沼丹


  • 著: 小沼 丹

  • 販売元/出版社: 銀色の鈴 (講談社文芸文庫)

  • 発売日: 2010/12/15

Amazon/bk1



東京創元社が小沼丹の『黒いハンカチ』を文庫化してくれなかったら、小沼丹という作家の存在など知る由もなかっただろう。
もっとも、小沼丹は『黒いハンカチ』という一連のミステリを書いていたのだから、いつかはその存在を知った可能性はある。
ま、いずれにせよ、一冊の本と出合うということは偶然の産物である場合も少なくない。
僕はそれほど、作家で読み進めるタイプではないので一冊の本が気に入ったからといってその作家の他の本を読むということはそんなにしないし、ましてや小沼丹はミステリ作家ではなく私小説寄りの作家なので小沼丹との会合もこれ一冊で終わっても不思議ではなかったのだが、小沼丹の文章には不思議な魅力があった。
そこに書かれている物語を楽しむというのではなく、そこに描かれている世界を感じるという楽しみ方とでもいえばいいのだろうか。
どことなく可笑しくて、どことなく悲しくて、それが何故なのか不思議だったのだが、解説を読んで氷解した。
作者曰く、いろんな感情が底に沈殿した後の上澄みのような所を書きたい、のだそうだ。
可笑しさも、悲しさも描かれていないのに感じるのはそういうことだったのだ。  

Posted by Takeman at 18:54Comments(0)TrackBack(0)講談社文芸文庫
2012-01-25

ふたたび、母のこと

前回から続く
母のことについて書くのはこれで最後とする。

ここまで読んだ人は気づいたかもしれない。
僕は母の死を悲しんでいない。
それどころか僕は母を恨み続けているし、今も憎しみ続けている。

物語などで、親を憎しんでいた子が、親の死をきっかけに親のことを理解し、憎しみが取り除かれるという話があるが、あれは物語だからだ。現実はそんなに単純ではない。
最初の連絡があったとき、すぐに駆けつけなかったのは、死に目にあえなくてもかまわなかったからだし、母がこん睡状態になったときは、心電図のモニターを見つめ、とっとと心臓が止ればいいと思った。未だに線香も一本も上げていない。成り行きで最後の花を棺に入れることになったが、別に入れたかったわけではない。皮肉なもんだなと思っただけだ。
火葬場での最後のお別れのときも一番後ろで立っていただけで、まともに顔も見ていない。拾骨をひと一倍やったのは、てきぱきとやって早く終わらせたかっただけだ。
それだけ憎んでいながら今回の葬儀を人一倍やったのは、妻のためと、これだけ一生懸命やったのだから、この先ずっと憎しみ続けても誰にも文句を言わせさせないためだ。ある意味、敵対関係は礼儀を重んじさせる。
ただ、人の感情というのは好きとか嫌いとかで単純に分かれるものではなく、僕の中にも母に対する愛情というものは存在する。母に暴力を振るったことなどないし、あくまで僕の心の中の問題で、僕と母の関係は複雑な愛憎関係であり、我ながらつくづく生き方が下手だと思う。
表面的には親孝行な息子という状態だったが、それはあくまで表面的な行動で、僕の行動に母に対する愛情などは存在しなかった。
たぶん母も薄々と感じ取っていたのだろう。いつからか僕のことを理想的な息子と思うようになりそのことを口に出し始めた。母は口に出し、そう信じることで現実から逃れようとしていたのかもしれない。
僕は意識せずとも母を苦しめていたわけでお互い様だったかもしれず、そう思うと僕自身の気も少しは晴れるというものだ。


しかし、死というのはあまりにも巨大な力だ。
人を憎しむということは多大なエネルギーの要ることで、生きているからこそできることだ。
生きていることを主張しあうから憎しみが生まれる。
骨となった母を見て、少しだけ母に対する憎しみが消えている気がした。
母に訪れた死は、たぶん僕の命も少しだけ奪い取っていったのだろう。
だから少しだけ憎しみが消えたのだ。ほんの少しだけだが。

僕の中で母はまだ生き続けている。
やがて、それも次第に薄れていくことだろう。
憎しみも引き連れていつかは消えていくのだ。
  

Posted by Takeman at 17:00Comments(0)TrackBack(0)日常
2012-01-24

葬儀

前回から続く
葬儀当日。
九時頃に父から電話が入る。人数と、留守番の問題だ。
人数のほうは三人増え、弁当を三つ追加することで合意する。余る分にはかまわないが、あまり過ぎても困ってしまう。
問題は留守番のほうだった。今までの風習・しきたり通りで近所の人たちは動いてくれる。それは仕方がない。葬儀とは突然起こるものであり、突然に対応するにはあらかじめ形式化してルーティンワークとしておくことがすべて滞りなく行うためには必要なことなのだ。そして、留守番は近所の人たちの役割である。
古くからある風習・ルールを破るのは、近所付き合いを放棄するということでもある。父にしてみれば避けたい事項だ。
最後まで隠し通すつもりだったが、妻の現在の状況を父に話す。僕と妻は、今、そうしたことで将来起こるかもしれない心配よりも、今すぐに起こる目の前の問題のほうを対処しなければならない。今を何とかしなければ先などない。
現時点であらゆる障害を対処することのできる最善の選択は僕と妻が留守番をし、火葬場には父と弟が行くことである。父も不本意だったろうけれども、そのことに理解してくれて、この方向で進むこととなった。
その他には香典返しの問題もあったが、それは後回しにすることにした。
納棺と出棺の時間が近づくが僕は一人で、焼香に来た弔問客の対応を取り続ける。
出棺の時間が近づき、叔母が最後の花を棺に入れてくれと僕を呼びにきた。
そして僕は最後に残った花を、母の胸元に置く。
母に花などををあげたのは、これが初めてでそして最後となった。

さて、この後は来訪者への挨拶である。
前日の夜から考えていたことを話す。

本日はお忙しい中、お集まりくださいましてまことにありがとうございます。
生前、故人は、葬儀は家族だけでできる範囲で質素に行ってほしいと申しており、その意思を尊重する形で進めさせていただきました。
母は、派手な生き方をしてきました分、人生の最後は質素にして見たかったのかもしれません。
お集まりいただきました方々におきましては、戸惑いやご不満等、多々ありましたでしょうが、
故人の最後のわがままということで、何とぞ、ご容赦、ご理解のほどよろしく申し上げます。
また故人に代わりまして深くお詫び申し上げます。
とはいえど、これだけ大勢の方がお集まりになられましたことは、母も、半分照れながらも喜んでいること思います。本日はまことにありがとうございました。

そんな意味のことを言ったつもりだ。
うまく伝わったかどうかわからないが。

霊柩車が出発し、火葬場まで行く人々がバスに乗り始める。
僕が留守番することは親戚には、ばれていた。長男が行かなくてはどうするということになり、妻に後のことを託して火葬場へと行く。長男が留守番など、もともと無茶な行動だったのだ。
火葬場に着き、最後のお別れということで棺のふたが開く。そして母の入った棺は消えていく。
後は待合室で待つだけだ。持ち込んだはずの飲み物がどこにもないことに気づき、火葬場の中を一人駆けずり回る。なんとか見つけて配り終えると、父がそばに寄ってきて、挨拶をしてくれという。
アドリブができない僕はもう、持ちネタなどない。しどろもどろでごまかし、ようやく落ち着く。
待っている間、何度か妻に電話を入れて状況を確認する。今のところ問題は無い。
拾骨はもはや単純作業だ。お坊さんがお経を読むわけでもなく、ただひたすら骨を拾い、骨壷へと収めていく。
遺影は喪主の父が持ち、骨壷は弟が持つ。僕が持つのは余った弁当や茶菓子の入ったダンボール箱である。
帰りのバスの中で妻に電話をしそちらへの到着予定時間を伝え、お清めの塩の準備を頼む。
やがてバスは家へと到着し、次々と人が去り、僕と妻と妻の弟と僕の弟夫妻と父と、母の遺骨の入った骨壷が残った。
妻には妻の弟を駅まで送らせ、しばらくして弟夫妻が帰っていった。
僕はしばらくの間お茶をのみ、この後行わなければいけないことを父と相談し、簡単に取り決め、そして香典の金額だけ計算して、そして父の家を出た。少しずつ人が去っていくようにしたほうがいいだろうと思ったのでそうした。
車に乗り始めると、今まで何とかもっていた曇り空から雨がポツリポツリと降り始めた。

こうして火葬まで無事終了させることができた。
しかし、今回は父と弟と僕の三人で行ったのだが、父の葬儀の時には僕と弟の二人となる。さらに僕が喪主で、妻は喪主の妻とならなければならない。この事態を乗り越えることは難しいだろう。
しかしそれをいうならば、妻の母が亡くなったときのほうが僕と妻にとっての最大の試練となる。おそらく妻はかなりの不安定な状況になるだろう。この先を思えば、暗闇しか見えない。
そして突然襲った母の死は、これからゆっくりと妻の心にのしかかってくるだろう。僕はどこまで妻のことを支えられるだろうか。
まあ、今は考えることは止めよう。
ひつひとつ、目の前の問題を解決していくしかない。

自分の家にたどり着くと、義弟を送った妻が少し前に帰っていた。
妻といろいろと話す。
「○さんは、普段はふくろうのようにあまり動かないけれど、いざという時は人一倍活躍するね。」
と言ってくれた。

最後の最後で今日は僕にとって良い日となった。  

Posted by Takeman at 17:00Comments(0)TrackBack(0)日常
2012-01-23

お通夜

前回から続く
九時に目を覚まし、コーヒーを入れて飲み始める。1時間程度は寝ることができたようだ。

自治会に連絡する文面を見てほしいから来てくれと父から電話がかかってくる。
今から思えば、自治会に連絡をしようとしたのが過ちだった。質素に行うのであれば、完全に家族葬として誰にも連絡などせず密葬にしてしまうのが正解だったのだ。
しかし、生まれたときから住んでいた土地での風習というのは意識せずとも身に染み付いてしまっているようだ。父も僕も何の疑問も抱かずに自治会に連絡し、親類に連絡することをしていた。
自治会を通して訃報を連絡すれば、弔問客は集まってくる。香典・供物はお断りしますと明記しても、弔問客は当たり前のように香典を持ってくるし、近所の人たちは何かと手伝いを進み出てくれる。
質素のはずが次第に大きくなっていく。
最初の予定が次々と崩れ始める。もちろんそれはそれでかまわないのだが、僕と妻にはもうひとつ問題があるのだ。
妻は大勢の人が集まる所にいることができない。いまもまだ残り続けている妻の妄想は、世界中の人間が自分のことを統合失調症だと知っており、見かければ自分のことをあざ笑っているという妄想だ。妻にとってはいまだにこの世界はつらく悲しい世界のままだ。
弔問客が多くなればなるほど妻の心は不安定になる。しかし、妻自身は葬儀に参加したくないわけではなく、参加したいのだ。でも自分の中の心の一部がそれを邪魔してしまう。
次々と崩れていく予定と、妻をどのような形で葬儀に参加させるかという二つの問題をどうにか解決させなければならない。そして妻の問題は僕ひとりで密かに解決しなければならない。
今日のところは妻は自分の家で一人休んでいてもらうことにする。一人っきりにさせるのは心配なのだが、これ以上ほかに選択肢はない。
父と一緒に明日の火葬の際の参加者の人数の予測を立て、おおよその参加人数を決定すると17名となった。普通の葬儀であれば少ない人数、簡素に行うには少し多い人数だが、妻にとっては苦痛と感じる大人数だ。
この人数から妻をはずすためには弟の嫁さんの二人で、火葬場に行っている間の留守番としての役割を振るしかない。本来は近所の人が行ってくれる役割で、おそらく今回も近所の人が進んで行ってくれるだろうが、ここは何が何でも押し通すしかない。
横になれるときには横になるようにして体を休めつつ、葬儀会社の人と今後の予定を打ち合わせし、崩れた予定を再調整していく。
父は僕よりもてきぱきと動いている。倒れてもらっては困るのでほどほどで休んでもらいたいのだが、自分のほうも体力的に限界が近い気がする。
夕方五時過ぎになったころ弟を呼び、今日決定になった事項を話し、後を引き継ぐことにするのだが、そのころになってようやく弔問客が訪れ始めたので帰るに帰れない状況となってしまう。
なんとか弔問客の合間をぬって自宅へと帰るのだが、さっそく弟から電話がある。
父が次々と火葬場へ行く人数を増やしているというのだ。
今回予定している送迎用のマイクロバスは25人乗り、霊柩車には二人乗ることができる。それ以上増えた場合は個人で行ってもらうしかない。問題は現地で出す弁当の問題だ。多い分にはかまわないが少ないわけにはいかない。
もう一度想定していた人数を確認しなおし、現状のままでも余裕があることを確認しなおす。現状のままですすめ、父にはこれ上増やさないように弟に指示する。
電話をし終わり、今度は翌日の挨拶文を考える。
人数が少なければ挨拶なしで出棺しそのまま進む予定だったのだが、どうやら挨拶無しで済む人数ではなさそうだ。喪主である父が話すべきかもしれないが、悲しみというのは口を閉じているからこらえることができるものであり、言葉を出せば、今までせき止めていたものがこぼれだしてしまう。父は挨拶を僕に頼んでいた。
葬儀は個人の意思を尊重したということ、そしてそのお詫び、なおかつ、来てくれた人が来てよかったと感じさせるような感謝の言葉、そんなものを盛り込んでおおよその文章をまとめた。あとはその場の気分でなんとかなるだろう。

ようやく眠りにつくことができそうだ。  

Posted by Takeman at 18:34Comments(0)TrackBack(0)日常
2012-01-20

母のこと

1月18日午前1時28分、母が亡くなった。
ブログの更新が止っていたのはそのせいだ。

前日の午前11時頃に家で倒れているところを父が見つけた時には意識はまだあり、ある程度の言葉はしゃべることができていたが、左半身は痙攣していてそのまま救急車で病院へ連れていくことになった。
容態はどんどんと悪化し病院で手当てを受け始めた時にはほぼ意識はなく、医師の話では脳幹の部分で出血が起こっており、外科的な処置はほぼ不可能な状態となっていた。
僕が連絡を受けたときは12時30分、倒れて救急車で運ばれ治療中だが、たぶん半身不随になるだろうという内容だった。
治療中ならばあわてて駆けつけても仕方がないのでそのまま仕事を続けていた。
再度連絡があったのは3時。家族には集まってほしいという状況になっていた。

そのころ父はひとつの選択を迫られていた。
それは延命処置をするかどうかという選択だ。
その時点での母はすでに意識はなく意識障害、つまり脳死という状況で、このままなにもしなければ呼吸が止まり心臓も停止してしまう。人工呼吸器を取り付け延命処置をとれば、母の肉体は生き続ける。しかし医師の話では意識が戻る可能性はほぼない。
奇跡が起こることに望みを託して延命処置をとるか、このまま見守るか。
そして奇跡の代償は大きい。
一度延命処置をとってしまえば、それを止めることはできなくなってしまう。日本では安楽死は認められておらず、それを行えば殺人の罪を犯さなければならないのだ、
父は延命処置をとらず、このまま母を見守る選択をした。

このまま見守るという選択をしたからといって、母の呼吸がすぐに止るわけではない。数日間はこのままの状態が続くだろうと、そのときには思っていた。
母はただ苦しそうに呼吸をしているだけだった。

6時ごろ、父を残して僕と妻と弟夫妻は一時帰宅した。
僕以外の人間はまだ残っていたそうだったが、僕は父を母と二人っきりにさせてあげたかったのだ。たぶん父もそうしてほしかったと思う。

食事をし、風呂に入り、大したこともしないまま時間が経ち、いつの間にか11時を過ぎていたので寝ることにした。
そして、うとうとしかけたころに電話が鳴る。電話の表示には父の名前が表示されている。話すまでもなく何が起こったのか想像できた。
着替えて妻とともに病院へと向かう。深夜の病院はとても静かで、母の病室までの道のり遠い。時折人とすれ違う。ここでは僕たち以外にもさまざまな命が交差しているのだ。
病院に着くと母は静かに呼吸を繰り返していた。後はただ見守るだけだ。病室は暑い。妻が飲み物を買いに行こうと僕を促がしたので一緒に出かける。

自動販売機を探してお茶を買っていると電話が鳴った。急変したようだ。
心電図のモニターの数値はかなり下がってきていた。

ときおり数字はゼロになる。

やがて、先生が心臓の鼓動と網膜を確認し、1時28分、ご臨終です。と言ってくれた。
ドラマなどで、モニターのラインがフラットラインになり誰の目でも明らかになくなったことがわかるシーンがあるが、あれは嘘だ。
実際は、フラットラインになどならない。ご臨終ですといわれた後でも微妙に上下に触れている。先生がご臨終ですと言わなければ僕たちはいつまでも母を見つめていただろう。

遺体の処置をするため休憩所で待っているように指示され、待っていると、看護師がやってきて、エンゼルケア、いわゆる死化粧をするかどうか聞いてきた、僕はどっちでもよかったのだが、父は行ってくれと言った。
さて、これからのことを決めなければならない。
母の遺書を開いて、葬儀をどうするか決めなければならないし、母の遺体をどこに安置するのか決めなければならない。

母が生前、自分の葬儀について言っていたことは次の三つだ。

・式は香典・供物・花輪などなしで身内だけで簡素にやってほしい。
・お坊さんはよばないでほしい。
・遺骨は海に散骨してほしい。

父は母を、自分の車で家へと連れて帰りたいと言った。
いったん家に帰り、遺書を調べてどうするかを決定しなければならない。たぶん二時間はかかるだろう。僕は看護師に4時にここに戻ってきますと言い、僕と妻と弟夫妻と父の五人は病院を出た。

実際に検討してみると、条件1は簡単なようでいて簡単ではなかった。
自分たちでやるということはすべてを自分たちで行わなければならないということである。要所要所で葬儀会社の手を借りなければ不可能だ。
結局、母の遺体は葬儀会社に頼み、自宅へとつれて帰ることになった。
葬儀会社の人と打ち合わせをし、もろもろのことを決めていく。まずは日程だ。今日をお通夜とし火葬は翌日とするか、それとも少し日を延ばすか。今日お通夜の明日火葬は急スケジュールなのだが、父も僕も急スケジュールを選択した。
肉体的にはきついが、日を延ばせば父の気の張りが途切れてしまうだろう。父が気を張り続けていることができるうちに火葬まですませておいた方がいい。
一通りのことを決め、ひと段落すると五時を過ぎていた。
妻はもうそろそろ限界に近い。
妻は統合失調症である。そして統合失調症はストレスに弱く、何よりも睡眠が大事なのだ。
たぶん寝られないだろうけれども、体を休めさせなければならない。父には悪いと思ったが、一度家へ戻ると言い、父一人を残すかたちとなってしまったが、五人は解散することとなった。
弟にはお通夜は大したこともないだろうから夕方くらいでいいと言っておく。
もちろん、実際には夕方来ればいいという物ではなく、数時間後にはもろもろのことを執り行わなければいけないのはわかっていた。しかし、それをするのは僕と父だけでいい。

もう、徹夜が厳しい歳となっていたが、そのときは何とかなると思っていた。  

Posted by Takeman at 20:14Comments(2)TrackBack(0)日常
2012-01-16

『パラダイス・モーテル』エリック・マコーマック


  • 訳: 増田 まもる

  • 著: エリック・マコーマック

  • 販売元/出版社:  東京創元社

  • 発売日: 2011/11/29

Amazon/bk1



『隠し部屋を査察して』は異様に面白かったのだけれども、このスタイルでの長編を読まされるのはちょっと勘弁願いたいというか気分の良い時にしたいよなあと思い続けていたのでマコーマックの第一長編『パラダイス・モーテル』は、そのうちいつか読めばいいやと思っていた。
そうこうしているうちに国書刊行会から『ミステリウム』が出て、これは長編だったけれども、短編ほどビザールっぽさは少なく、メタフィクション的な部分も含めてミステリとして面白かったので、マコーマックの長編も大丈夫なんじゃないかという気がし始めていたところへ『パラダイス・モーテル』が文庫化された。
『隠し部屋を査察して』に収録されている「パタゴニアの悲しい話」を含めて、いくつかの短編が組み込まれた、純粋な長編ではなくいくつかのエピソードが連なる連作長編である。
グロテスクな部分はちょっとばかりジャック・ヴァンスっぽいよなあと思いつつも、やりたい放題やって、長編としての体裁を整えようとすればこうするしかないだろうなあと思う仕掛けで、むちゃくちゃな割には計算し尽くされた構成で、読み終えて、よくやるよなあとにやにやと笑いが止まらない話だった。
  

Posted by Takeman at 16:50Comments(0)TrackBack(0)創元ライブラリ
2012-01-13

『瞳の中の大河』沢村凜


  • 著: 沢村 凜

  • 販売元/出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)

  • 発売日: 2011/10/25

Amazon/bk1



そもそも、目次からして作者の意気込みのような物を感じてしまう。たんなる言葉遊びだろうけれども、こんな遊びをやられてしまうと否が応でもワクワクしてしまうし、そのワクワク感をしっかりと受け止める物語でもあるので安心して読むことが出来る。
現実には存在しない架空の国。作者は主人公を活躍させるためでもなく、主人公を暴れさせるためでもなく、ただ、主人公を生きさせるために架空の国を作り架空の政治体系を作り、そんな世界に主人公を放り投げて物語を語った。
そして主人公はそんな作者の思いを受けながら、自分の信じる道を突き進んでいく。
そんな感じの物語だった。
荒廃した国の中、自分の信じた正義のために突き進みながらも、そのためなら普通ならばそんなところで嘘などつかないだろうと思うところでも平然と嘘もつく。そんな主人公の造形も良いのだが、主人公の父親の造形が素晴らしい。
この物語にそんな人物を登場させるかと思うような人物なのだ。そして作者は最後の最後になって、主人公の父親がどんな人物だったのかを登場人物の一人に語らせるのだ。
今まで文庫化されなかったのが不思議なくらいに面白い物語だった。
  

Posted by Takeman at 17:00Comments(0)TrackBack(0)角川文庫
2012-01-12

『嫉妬事件』乾くるみ


  • 著: 乾 くるみ

  • 販売元/出版社: 文藝春秋

  • 発売日: 2011/11/10

Amazon/bk1



ミステリ小説というのはだいたいにおいて作者の頭の中で考え出された事件を元に書かれるものだけれども、ごくまれに実際に起こった事件を元に書かれることもある。
エドガー・アラン・ポーの「マリー・ロジェの謎」からして現実に起こった事件をモデルにして書かれている。
この物語は京大のミステリ研で実際にあったとされる事件を元にしたミステリだけれども、ミステリ作家というのはおかしな人間ばかりなのであろうか、竹本健治の『ウロボロスの基礎論』も同じ事件をモデルにしている。
ミステリ研で起きた事件がごく普通の事件であればまあ、いろいろな人が謎解きに挑戦してもかまわないし、この事件にしても謎解きが好きな人同士で集まっていろいろと推理するのであれば別に文句も無い。
しかし、京大のミステリ研で起きたこの事件でもって一本の小説を、しかも長編を書いてしまうというのは、それだけの魅力的な事件なのかとか、それでいいのかと問いつめたくなる気持ちも起こる。
『ウロボロスの基礎論』は読んでいないのでわからないけれども、この小説に関していえば、くだらないなあと苦笑しつつも最後まで読み切ってしまうだけの不思議な力はあるのもまた事実で、馬鹿馬鹿しくもきっちりと馬鹿馬鹿しく構成された物語だった。
  

Posted by Takeman at 17:00Comments(0)TrackBack(0)文春文庫
2012-01-11

『塔の中の女』間宮緑


  • 著: 間宮 緑

  • 販売元/出版社: 講談社

  • 発売日: 2011/9/21

Amazon/bk1



最初にガラクタを纏った公爵が登場する。
いやガラクタを纏ったというよりもガラクタでできていると言った方が正しい。
そして、公爵が歩くたびに身につけているガラクタが道に落ちていく。
その他、偽詩人やら、書物を食い尽くす巨大な紙魚やら、塔に住む塔男などが登場する。
まるで山尾悠子の世界を彷彿させる世界なのだが、あくまで霞のごとく彷彿させる程度で、どちらかといえばむしろ村上春樹の世界に近い感じがする。
個々のガジェットはなかなか面白く素晴らしい。特に公爵の存在と彼の扱われ方は面白い。
ガラクタでできた公爵は定期的に技師によって分解され、個々の部品を掃除される。分解掃除する技師達はみな老婆、掃除後、公爵を組み立てた後に、使われなかった部品が転がり落ちていても全然気にしないどころか、組み立て設計図すら見ずに組み立てる。そして、掃除の時に交換となった部品を集めて、密かに再生公爵を作っていたりする始末だ。
ただ、細部のイメージが面白いのに対して、物語全体がその面白さを受け止めきれているのかというと、どうも怪しい気がする。
単に僕の好みの問題に過ぎないかもしれないけれども、読み終えてもなんだかもやもやとした物が残り続けている。再読すればわかるようになるのかも知れないけれども、作者の新しい作品を読んだ方がはっきりするかもしれない。
  

Posted by Takeman at 19:12Comments(0)TrackBack(0)講談社