野獣の書

カテゴリー │ハヤカワ文庫SF

老人と宇宙』の時にも書いたがロバートといえばロバート・A・ハインラインというほどハインラインに傾倒していた時期があった。そんな時期、「孤児」といえば『宇宙の孤児』であったから、ロバート・ストールマンの『孤児』は真っ先に目を付ける割にはすぐさま無視される本だった。
しかしハインラインに対する熱も冷めてくると、逆にいつも頭に浮かぶのがストールマンの『孤児』だった。しかし、その頃にはもはや絶版、でも読めないとわかるとなおいっそう読みたくなるのが悲しい性である。
で、読んでみた。
読みたいから直ぐに探し、入手して読んでみるなどという欲望にあっさりと身を任せてしまう行動は大人としていかがな物なのだろうかとも思うのだが、とりあえず棚に上げておこう。棚に上げるだけの価値はあったのである。
ハインラインに傾倒していた頃だったらこの本の面白さなど全然わからなかっただろうことを思うと、読むべき時期に読むことが出来たというのは幸せな事だと思う。
読みながら真っ先に頭に浮かんだのが、ジョー・ホールドマンの『擬態 - カムフラージュ』だった。あちらは、手っ取り早く言えば、異星生物が人間的な感情を学ぶという話だったが、ストールマンの<野獣の書>も似たような展開をする。
ただし、ストールマンの場合は変化球で責めてくる。「おれ」という謎の生き物は最初からかなりの知識と思考能力を持っており、そして人間に変身する事が出来るのだが、人間に変身した場合別の人格を持った人間として変身するのである。そこでは「おれ」という存在は内側になり、別人格と会話をすることは出来るのだが、基本的に人間としての体を操ることは出来なくなってしまう。
最初から何故知識と思考能力を持っているのか、別の人格はどこから現れたのか、などという説明は一切ないまま話は進む。その点がホールドマンの話と大きく違う点だが、ストールマンの語りは異様な説得力を持っているので全然気にならない。
一巻の『孤児』では5歳くらいの子供と12歳くらいの少年と二人の人格が登場する。野獣である「おれ」はこの人格を通して経験を積んでいくのだけれども己の中に潜む獣性ゆえに夜な夜な野獣と化してさまよい歩く。まあ危険になれば野獣に変身して難を逃れるんだけれども、逆に野獣のままでピンチな時には人間に変身してその場を逃れたりする。
そのせいで12歳の少年チャールズは一巻の終わりで「おれ」にとんでもない屈辱を味わされてしまうことになる。
二巻の『虜囚』になると第三の人格が登場して大人となるのだけれども、彼は人妻に恋をしてしまう。でもって相手の方も主人公の事を好きになってしまっていやはや、ドロドロの不倫関係になってしまうのだ。大人になったものだからそれはもうくんずほぐれつ獣のごとき性愛。まあ主人公は野獣なんだからしかたないかって気もするんだけれども。
しかも旦那の性格が良くなく、だらしのない駄目亭主のように描かれているのでやましさなど微塵のかけらも感じさせないところが素晴らしい。
そして、三巻では二匹目の野獣が登場し、主人公の物語と交互に語られる事となるのだが、両者の話が重なって最後の数頁で一気に野獣の謎が解ける事となる。
三巻はまあ謎解きのためだけにあるような存在になってしまっているところがちょっと惜しいのだが、主人公たちが最後に出した結論はなかなか味わいがあっていいなあ。

孤児―野獣の書1 (1983年) (ハヤカワ文庫―SF)

  •  ロバート・ストールマン

  • 販売元/出版社 早川書房

  • 発売日 1983-05

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虜囚―野獣の書2 (1983年) (ハヤカワ文庫―SF)


  •  ロバート・ストールマン

  • 販売元/出版社 早川書房

  • 発売日 1983-07

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野獣―野獣の書3 (1983年) (ハヤカワ文庫―SF)


  •  ロバート・ストールマン

  • 販売元/出版社 早川書房

  • 発売日 1983-12

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いろいろな事情と思うところがあってもうひとつブログを作りました。 新しいブログで書いていることは、他愛もない書きなぐりの文章になってしまっていますが、興味のある方は新しいブログの方も見てやってください。 もうひとつのブログ --> abandonné cœur.

 
 
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