経過報告53

カテゴリー │闘病記

10/27


今日、妻の面会に行って驚いた。
明日以降ならいつでも退院していいと主治医に言われたそうだ。
というわけで、何もなければ、明日、妻は退院する。

しかし、退院といっても回復したわけではない。あくまで入院してまで治療する必要が無くなったというだけにすぎない。
この病気は高血圧や糖尿病と同じく慢性疾患なのだ。だから快復を目指すことは出来ない、その変わりに寛解を目指す。寛解とは「問題ない程度」にまで状態がよくなる、もしくはその状態が続く事だ。

我慢できるか、そんな状態を。

妻はおそらくこのさき一生、薬を飲み続けなくてはいけない。そのことは妻も理解をしている。しかし、理解していても実際に出来るかといえば違う。そう簡単な事ではない。長い間、服用しつづけていれば副作用の危険性も出てくる。薬を飲むということは辛いことだ。
多分、途中で自発的には飲まなくなるだろう。
妻の実家も未だに精神科や薬に対する偏見を持ち続けている。だから妻が薬を飲むことのつらさを訴えれば、服用を止めさせようとするだろう。
服用のつらさのあまり、私を非難する事もあるはずだ。なにしろ妻は、完全に私を許したわけではない。ひょっとしたらこの先、離婚することになるかもしれない。可能性は十分にある。
でも、妻と一緒に笑ったり、喜んだりすることもできるはずだ。悲しむことも怒ることも、おそらくそれは、どこの夫婦にもよくある出来事なのだ。私たちにはただ単に、病気という要素が追加されるだけにすぎない。

病気になったからといって辛いことばかりというわけでも無いはずだ。病気になったから逆に得ることができたものもあったかもしれない。

私は何を得たか?

この病気に関する知識を得た。そして妻の苦しみを少しは理解できたかもしれない。
だから以前よりも少しだけ妻に優しくなれるかもしれないが、それは私の努力次第だ。

では妻は何を得たのか?

何も得なかったのかもしれない。
たぶん、失った物の方が多いだろう。
だったら、私が何かを与えてやればいい。

でも、何をだ。

「はじめに」という記事を書いたとき、ハッピーエンドになればいいと本気で思っていた。しかし、その後の記事のタイトルは「経過報告」とした。タイトルを考えるのが面倒だったというわけではない。ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』から借用したのだ。頭のどこかで、私と妻の物語がハッピーエンドにはならないことを理解していたからだ。

でもハッピーエンドってなんだ?

死ぬ間際に、幸せな人生だったと思うことなのか?
人生の長い時間の中で、幸せだと感じる時間が、不幸せだと感じる時間よりも、ちょっとだけ多ければそれでいいのではないか。そう思う。

妻の面会に行ったとき、いつも私は妻のベッドで妻と一緒に腰掛けて、二人でゆったりと話をしていた。妻は、「私たちが年を取ってもこんな感じよね、想像がつくわ」と言ったことがある。「背が曲がって、しわが増えて、でもこんな感じで、二人で並んで腰掛けて話をしているんでしょうね」
私にとってのハッピーエンドはそれだ。でも妻にとってはどうだろうか。

人生ってのは何が起こるかわからない。
だからといって、わからないから楽しいなんて達観などできやしない。
病気という存在は重くのしかかってくるはずだ。妻にも、私にも。
希望を持ったことを書きたいが、現実ってやつは、そうそう甘くはない。
私はこの先、老いていく。体力も気力も知力も衰えていく。
妻は私を信じていない。だから異変が起こってもそれを隠そうとするはずだ。私に入院させられないために。
そんな状態で妻の再発の兆候を見過ごさずにいけるのか?
妻が再発しても、今回と同じくがんばることができるのか?
おそらく同じようには出来ないだろう。
私は自分の人生をそんなに楽観視しない。

しかし、私は現実に対して抵抗をする。

統合失調症というのは乱暴に言ってしまえば、「自分」というものをを失ってしまう病気だ。だから、「自分」という存在を客観的に見ることが出来なくなってしまう。だから幻聴や幻覚といった異変を肯定するために妄想をふくらましてしまう。幻聴や幻覚を否定出来ないのだ。

では、どうすれば客観的に見ることが出来る?

言葉に置き換えて、物語ればいい。
客観的に自分を捉えることの出来ない妻の変わりに、私は言葉を使って物語る。
言葉を使って自分の考えを整理する。
一歩踏み出すことは出来る。

そして、私は辛い現実に対して精一杯の抵抗をする。

明日は、妻が退院をする。
入院しなくっても良くなったってことだ。
妻は私の元に帰ってくる。
私の望んだ事柄だ。

だから、ここで物語を終わらせれば、ハッピーエンドだ。この後は、めでたし、めでたしとなる。
だから、私と妻の物語はここで終わらせる。この先のことなど知ったことか。めでたし、めでたしだ。

これが私の精一杯の抵抗だ。

ここまでは、語ることの出来る私と妻の物語だった。そしてこの先は、私と妻だけの物語だ。この先、私の語る物語は私が妻だけに語ってあげる物語なのだ。



最後に書評サイトらしいことを書いておこう。
以下は、私が妻のために読んだ本だ
私が本を読むことが苦痛とは感じない人間で良かったと思っている。もっとも、そんな人間だったから妻は病気になったのかもしれない。

『図解雑学 心と脳の関係』 融道夫
『統合失調症 患者・家族を支えた実例集』 林公一
『統合失調症とつき合う 治療・リハビリ・対処の仕方』 伊藤順一郎
『統合失調症 治療・ケアに役立つ実例集』 春日武彦
『精神科セカンドオピニオン』 笠陽一郎
『こころの科学 120 統合失調症』 岡崎祐士・青木省三・宮岡等 編
『大人の発達障害―アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本』 備瀬哲弘
『認知行動療法ワークブック』 ポール・スタラード
『こころの科学 116 向精神薬両方の限界』 宮岡等 編
『統合失調症とわたしとクスリ』 川村実・佐野卓志・中内堅・名月かな
『統合失調症あるいは精神分裂症』 計見一雄
『統合失調症の治療 理解・援助・予防の新たな視点』 原田誠一

『図解雑学 心と脳の関係』
妻に、それとなく統合失調症であることを自覚して欲しいために妻に読んでもらうために買った本だが、もくろみは失敗した。本の内容が悪いと言うわけではない。そのページだけ視野に入らないかのように病気という自覚そのものが不可能なのだ。

『統合失調症 患者・家族を支えた実例集』
『統合失調症とつき合う 治療・リハビリ・対処の仕方』
『統合失調症 治療・ケアに役立つ実例集』
この三冊は基本的に同じような内容だ。どれか一冊を読めば多分この病気に関しては理解出来るだろう。治ると書かれている文章を読むのは心の支えになった。

『統合失調症 治療・ケアに役立つ実例集』が一番バランスが取れているかもしれない。
『精神科セカンドオピニオン』
いかに誤診が多いかという点で読めば不安になる。今の治療に何の問題もなければ読まない方がいいかもしれない。薬に関する情報は大変参考になるので、ここに書かれている処方と同じ処方がされているのであれば、ある程度は安心できる。

『大人の発達障害』
『認知行動療法ワークブック』
統合失調症とはあまり関係が無いが、妻にとっては自分自身の生き方を見直すという点では役に立ったのかもしれない。

『こころの科学』
専門系の本なので、統合失調症や薬物療法というものに深くつっこんだところまで理解したいという点では役に立つが、ここまで読む必要は無いだろう。

『統合失調症とわたしとクスリ』
当事者の方々の実体験なので、この本を読むことで妻が薬とつきあう為の役に立ってくれることを祈っている。

『統合失調症あるいは精神分裂症』
治療のためにはほとんど役に立たないが、内容の是非はともかくとして統合失調症という病気を解体していく様は読んでいて面白いし、別な側面からこの病気を理解する手助けをしてくれる。
家族がどのように望まなければいけないのかという事に対して、他の本では書かれなかった事柄が書かれているという点でも、余裕が出来たなら読んで損はしないだろう。

『統合失調症の治療 理解・援助・予防の新たな視点』
付録のCD目当てだったが、内容の方もかなり役に立つ。


『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』という本の中に、バート・K.ファイラーという人が書いた「時のいたみ」という短編が収録されている。
時間旅行が可能となった未来。誰しもタイムトラベルをすることが出来るのだが、パラドックスを防ぐために、記憶を消去されてしまう。
主人公は十歳年老いていた。そして年老いているにもかかわらず屈強な肉体を伴っていた。おそらく十年の歳月のあいだ、自分の肉体を鍛え続けていたようだ。
何のために。
十年前の自分では助けることが出来なかった妻を助けるために十年の歳月をかけて肉体を鍛え上げ、過去へと戻ってきたのだ。
そして、主人公は妻を無事助けることができた。
しかし、二人は子供に恵まれず、離婚してしまう。別れた妻はしばらくして別の男と結婚するが、主人公は生涯結婚することはなかった。

皮肉な結末なのだろうか。
確かにそうかもしれない。しかし、結果ではないと思う。
何を思って何をしたのかじゃないだろうか。

私も、彼のようになりたい。


いろいろな事情と思うところがあってもうひとつブログを作りました。 新しいブログで書いていることは、他愛もない書きなぐりの文章になってしまっていますが、興味のある方は新しいブログの方も見てやってください。 もうひとつのブログ --> abandonné cœur.

 
この記事へのコメント
「夏の扉」のようにハッピーエンドとなるでしょう。
コードウェイナー・スミスを久しぶりに読みなおしたとき,アルファラルファつながりで初めて知って,夏の扉を40年ぶりに読んだ後,リアルタイムに読ませていただきました。
わたしより時間は多く残っていると思います。新しいSFの様子を今後も知らせてください。
Posted by mitirof at 2009年11月17日 21:20
いつも読ませていただいています。
奥の深いブログですね。
良い方向にいくといいですね。
Posted by プロミス at 2009年11月18日 13:16
商用ブログにもかかわらず、ご訪問有難うございました。

深く濃い、内容、じっくり、拝読させて頂きます。
Posted by 神戸愛犬生活研究所いぬけん at 2010年09月07日 00:52
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。