2012年03月09日19:26
『プレイバック』レイモンド・チャンドラー last part≫
カテゴリー │ハヤカワ・ミステリ文庫
前回からの続き
女性が何故マーロウのことを「hard」と言ったのかは『プレイバック』における二人の関わり合いを読めばわかる。
色気や金や懇願で自分のことから手を引かせようとしながらもマーロウはそれにたなびくことなく、自分の信念を曲げずに自分のやり方を押し通している。いわば融通の利かない堅物で情け知らずの「hard」な男なのだ。
それでいながらもマーロウは仕事以外の面ではベティに親切にしている。ベティの隠された過去が関係しているが、個人的に関わり合うと面倒なことになりそうな女でありながらだ。自分自身の境遇をふまえた上で、マーロウの「gentle」な部分が疑問になったのだろう。
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」という問いかけをする前にベティはこんな問いかけをしている。
「あなた、恋をしたことないの?毎日、毎月、毎年、一人の女と一しょにいたいと思ったことないの?」
一方、マーロウはというと、作中で前作の『長いお別れ』事件から一年近く経過していながらも前作での失恋を未だにひきずっている状態だ。それでいながら、今作では初対面の女性二人と寝たりしていてわりと節操がない。
自分では三文探偵と言ってはいるが、腕はそれほど悪くなく、自分の生き方に誇りを持って生きている。マーロウのような性格の人間が探偵として生きていく、あるいは生活していく為には、堅物で、情け無用でなければ探偵家業を行っていくことは難しいし、それができなければ金を稼ぐこともできず、生活していくことができないことも自覚している。
でも、そんな生活を送っているだけではあまりにも味気ない人生だ。だから気に入った女には優しくする。それすらできない人生は生きていく気にもなれない。
一方でそれは『長いお別れ』事件における失恋とそれに対する後悔が含んでいるのだと思う。だから物語の最後でやり直すチャンスが訪れたのだ。
それは同時に作者の主人公に対する優しさなのかもしれないし、奥さんを亡くしたことによる心境の変化かもしれない。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
はチャンドラーが作り上げたマーロウという人物の性格、考えが言外によく現れた言葉だ。
そして
「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」
は生島治郎の求めたハードボイルドというものをひとつのセリフに昇華させた言葉だ。
どちらのセリフをとっても完璧な人間であるための言葉ではなく、いわば、やせ我慢の系譜に連なる、不完全な人間の生き方をあらわした言葉だと思う。
しかし、それが、
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」
になると、人としてあるべき生き方をあらわす人生訓のような言葉になってしまっているところが面白いところだね。
だけど僕は、
「ハードでなければ生きていけない、ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」
が好きだ。そこには言外に沈むさまざまな感情と思いが込められている。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」
じゃ、あまりにも味気ないよね。
ここ数年、村上春樹は何冊かチャンドラーの小説を新訳として翻訳している。
すべての長編を翻訳するつもりかどうかはわからない。多分、『プレイバック』を訳す可能性は少ないんじゃないかと思う。でも、もし彼が翻訳することがあったとしたら、どんな風に訳すのだろうか。
ちなみに僕がこの物語で名言と思ったのはこのセリフだ。
「だんな、サーヴィスがただってことはありませんぜ。ただで食っているわけじゃないんですからね」
マーロウがたまたま乗り合わせたタクシーの運転手のセリフである。
女性が何故マーロウのことを「hard」と言ったのかは『プレイバック』における二人の関わり合いを読めばわかる。
色気や金や懇願で自分のことから手を引かせようとしながらもマーロウはそれにたなびくことなく、自分の信念を曲げずに自分のやり方を押し通している。いわば融通の利かない堅物で情け知らずの「hard」な男なのだ。
それでいながらもマーロウは仕事以外の面ではベティに親切にしている。ベティの隠された過去が関係しているが、個人的に関わり合うと面倒なことになりそうな女でありながらだ。自分自身の境遇をふまえた上で、マーロウの「gentle」な部分が疑問になったのだろう。
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」という問いかけをする前にベティはこんな問いかけをしている。
「あなた、恋をしたことないの?毎日、毎月、毎年、一人の女と一しょにいたいと思ったことないの?」
一方、マーロウはというと、作中で前作の『長いお別れ』事件から一年近く経過していながらも前作での失恋を未だにひきずっている状態だ。それでいながら、今作では初対面の女性二人と寝たりしていてわりと節操がない。
自分では三文探偵と言ってはいるが、腕はそれほど悪くなく、自分の生き方に誇りを持って生きている。マーロウのような性格の人間が探偵として生きていく、あるいは生活していく為には、堅物で、情け無用でなければ探偵家業を行っていくことは難しいし、それができなければ金を稼ぐこともできず、生活していくことができないことも自覚している。
でも、そんな生活を送っているだけではあまりにも味気ない人生だ。だから気に入った女には優しくする。それすらできない人生は生きていく気にもなれない。
一方でそれは『長いお別れ』事件における失恋とそれに対する後悔が含んでいるのだと思う。だから物語の最後でやり直すチャンスが訪れたのだ。
それは同時に作者の主人公に対する優しさなのかもしれないし、奥さんを亡くしたことによる心境の変化かもしれない。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
はチャンドラーが作り上げたマーロウという人物の性格、考えが言外によく現れた言葉だ。
そして
「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」
は生島治郎の求めたハードボイルドというものをひとつのセリフに昇華させた言葉だ。
どちらのセリフをとっても完璧な人間であるための言葉ではなく、いわば、やせ我慢の系譜に連なる、不完全な人間の生き方をあらわした言葉だと思う。
しかし、それが、
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」
になると、人としてあるべき生き方をあらわす人生訓のような言葉になってしまっているところが面白いところだね。
だけど僕は、
「ハードでなければ生きていけない、ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」
が好きだ。そこには言外に沈むさまざまな感情と思いが込められている。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」
じゃ、あまりにも味気ないよね。
ここ数年、村上春樹は何冊かチャンドラーの小説を新訳として翻訳している。
すべての長編を翻訳するつもりかどうかはわからない。多分、『プレイバック』を訳す可能性は少ないんじゃないかと思う。でも、もし彼が翻訳することがあったとしたら、どんな風に訳すのだろうか。
ちなみに僕がこの物語で名言と思ったのはこのセリフだ。
「だんな、サーヴィスがただってことはありませんぜ。ただで食っているわけじゃないんですからね」
マーロウがたまたま乗り合わせたタクシーの運転手のセリフである。
いろいろな事情と思うところがあってもうひとつブログを作りました。
新しいブログで書いていることは、他愛もない書きなぐりの文章になってしまっていますが、興味のある方は新しいブログの方も見てやってください。
もうひとつのブログ --> abandonné cœur.