2012年10月22日20:20
もし、スーパーマンが乗ったカプセルがアメリカのカンザス州に着陸しなかったとしたら。
地球にたどり着くのが12時間ほど遅れるか進んでいたとしたらスーパーマンの乗ったカプセルはアメリカではなくロシアのどこかに着陸し、ロシア人に育てられたかもしれない。
この漫画は、もしスーパーマンがロシアで育ち成長したらどのような展開をしていくことになるのかということを描いた漫画だ。
スーパーマンの幼少期は描かれないので、スーパーマンがどのような教育を受け、成長したのかは不明なままなのだが、この漫画におけるスーパーマンは共産主義者でありながらも資本主義を敵とみなすわけでもなく、困っている人がいれば、その困っている人がどこの誰でも助けようとする。
その点で、ロシア人として育ったスーパーマンであっても本来のアメリカで育ったスーパーマンと根底の部分では同じであり、根底が同じでありながらも育った環境によってここまで異なる行動をすることになるというシミュレーション的な要素も存在する。
ページ数はそれほど無いのだけれども、物語の密度が濃く、スーパーマンと、その敵であるレックス・ルーサーだけではなく、バットマンやワンダーウーマン、グリーン・ランタンも登場するのだ。中でも、この漫画におけるバットマンの立ち位置が面白く、バットマンはスーパーマンの築いたある種のユートピア国家に対して反体制的な立場に立つのだ。
何が正義なのかという問題と、より良い世界にしようとする自分の行為が人々に受け入れられないという問題、そして結果として、恐るべき超人的な能力を持ちながらも、傍観者として見守り続ける道を選ぶしかなかったという結末は、スーパーマンに影響を与えたと言われているフィリップ・ワイリーの『闘士』と同じ物語になったという点で興味深い。
この本のあとがきで、キム・ニューマンの「超人」について触れられている。こちらはスーパーマンがドイツに着陸したという設定の短編で、こちらもなかなか面白かった。
その他に、北杜夫が『大日本帝国スーパーマン』という小説を書いている。こちらはクリプトン星が崩壊した時、スーパーマンの他にもう一人のクリプトン星人が脱出をして地球にたどり着き、それが日本だったという話だ。
小説としてスーパーマンという存在を描こうとすると、『闘士』や「超人」のようにシリアスな物語になるか、それとも、ノーマン・スピンラッドの「スーパーマン症候群」やラリイ・ニーヴンの「スーパーマンの子孫存続に関する考察」や、『大日本帝国スーパーマン』のようなパロディになってしまうようだ。
『スーパーマン:レッド・サン』マーク・ミラー他≫
カテゴリー │漫画
もし、スーパーマンが乗ったカプセルがアメリカのカンザス州に着陸しなかったとしたら。
地球にたどり着くのが12時間ほど遅れるか進んでいたとしたらスーパーマンの乗ったカプセルはアメリカではなくロシアのどこかに着陸し、ロシア人に育てられたかもしれない。
この漫画は、もしスーパーマンがロシアで育ち成長したらどのような展開をしていくことになるのかということを描いた漫画だ。
スーパーマンの幼少期は描かれないので、スーパーマンがどのような教育を受け、成長したのかは不明なままなのだが、この漫画におけるスーパーマンは共産主義者でありながらも資本主義を敵とみなすわけでもなく、困っている人がいれば、その困っている人がどこの誰でも助けようとする。
その点で、ロシア人として育ったスーパーマンであっても本来のアメリカで育ったスーパーマンと根底の部分では同じであり、根底が同じでありながらも育った環境によってここまで異なる行動をすることになるというシミュレーション的な要素も存在する。
ページ数はそれほど無いのだけれども、物語の密度が濃く、スーパーマンと、その敵であるレックス・ルーサーだけではなく、バットマンやワンダーウーマン、グリーン・ランタンも登場するのだ。中でも、この漫画におけるバットマンの立ち位置が面白く、バットマンはスーパーマンの築いたある種のユートピア国家に対して反体制的な立場に立つのだ。
何が正義なのかという問題と、より良い世界にしようとする自分の行為が人々に受け入れられないという問題、そして結果として、恐るべき超人的な能力を持ちながらも、傍観者として見守り続ける道を選ぶしかなかったという結末は、スーパーマンに影響を与えたと言われているフィリップ・ワイリーの『闘士』と同じ物語になったという点で興味深い。
この本のあとがきで、キム・ニューマンの「超人」について触れられている。こちらはスーパーマンがドイツに着陸したという設定の短編で、こちらもなかなか面白かった。
その他に、北杜夫が『大日本帝国スーパーマン』という小説を書いている。こちらはクリプトン星が崩壊した時、スーパーマンの他にもう一人のクリプトン星人が脱出をして地球にたどり着き、それが日本だったという話だ。
小説としてスーパーマンという存在を描こうとすると、『闘士』や「超人」のようにシリアスな物語になるか、それとも、ノーマン・スピンラッドの「スーパーマン症候群」やラリイ・ニーヴンの「スーパーマンの子孫存続に関する考察」や、『大日本帝国スーパーマン』のようなパロディになってしまうようだ。
タグ :マーク・ミラー
いろいろな事情と思うところがあってもうひとつブログを作りました。
新しいブログで書いていることは、他愛もない書きなぐりの文章になってしまっていますが、興味のある方は新しいブログの方も見てやってください。
もうひとつのブログ --> abandonné cœur.