『キミトピア』舞城王太郎

カテゴリー │新潮社


  • 著: 舞城 王太郎

  • 販売元/出版社: 新潮社

  • 発売日: 2013/1/31

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そろそろ奈津川サーガを書いてほしいと思うんだけれども、こうして新作を読むと、初期の作品からだいぶ違う方向へと行ってしまったので、いま、奈津川サーガを書いたとしても僕が期待するような物語にはならないような気もする。もっとも、それはそれで構わないとも思うんだけれども。
前作の『短篇五芒星』が全編、直木賞候補作という触れ込みだったせいで過剰に期待してしまった結果、今ひとつ僕の好みの話ではなかったので、今回もどうだろうという不安もあったが、しかし、舞城王太郎は舞城王太郎で、そんな僕の不安など吹き飛ばすような物語だった。
たぶん、今までの作品と比べると、ぶっ飛び具合は少し控えめかもしれないけれども、初期の短篇集、『熊の場所』を読んだ時の感覚に近い感じで、懐かしい舞城王太郎に出会ったという感じでもあった。
珍しく序文のような文章が最初にあり、そこでこの本の題名『キミトピア』という言葉について語られる。
「キミトピア」という言葉も舞城王太郎の造語だが、その他にアドレナリンならぬ、やさしナリン、これはアドレナリンが脳内で放出されるのと同じように、ある種の人には、やさしさというものをコントロールするやさしナリンという物質が脳内に放出される。「やさしナリン」はそんな人達の物語なのだが、舞城王太郎の手にかかると、尋常ではない物語に仕上がる。

「結局のところ順序と程度の問題で、それらをわきまえられない奴にはそもそも難しい世界なのだ」

やさしさや善意というのは程度の問題で、過剰すぎれば迷惑なだけになってしまう。珍しく何について書かれているのかわかりやすい話で、舞城王太郎にしては珍しく女性視点の、しかも主婦視点の物語なんだけれどもそのことに違和感を感じさせない。そんな「やさしナリン」という短編を読むことができただけでも十分に堪能できた一冊なんだけれども、他の作品も同レベルで、舞城王太郎を読み続けてきて良かったと思った。


タグ :舞城王太郎

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