『ハサミ男』殊能将之

カテゴリー │講談社文庫


  • 著: 殊能 将之

  • 販売元/出版社: 講談社

  • 発売日: 2002/8/9

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殊能将之という作家がいた。
僕が殊能将之の訃報を知ったのは4月1日だったのでエイプリル・フールなんじゃないかと思ってしまったのだが、実際に訃報の情報が流れたのは3月30日のことだったので、認めたくはなかったのだけれども事実を受け止めるしかなかった。しかし、殊能将之という作家は覆面作家だったので、ひょっとしたら、殊能将之という作家であることを辞めたくなったので亡くなったということにしておいて、当の本人はまだ生きているという可能性も考えられないことではない。だからそう思いたいという気持ちもあった。
殊能将之という作家は覆面作家でありながらも、早い段階で本名は明らかになり、そこから経歴もある程度明らかにされ、さらには自身のサイトで日々の出来事を猛烈な勢いで更新し続けていて、他の作家と違うところといえば顔を明らかにしていない部分くらいで、もっとも、それさえも桂小枝似と言っていたり、画像加工した写真ではあるが自身の顔写真も公開していたりしたので、他の作家よりも個人の素性を公開し続けていた不思議な覆面作家でもあった。
ただ、逆に言えばそれだけさらけ出すことが目隠しとなって、本当に隠したい部分は隠し続けていたのかもしれない。
だからこそ、僕は殊能将之というキャラクターだけがこの世から消えてしまっただけで、それを演じていた人物はまだ生きていると思いたかった。
が、それもまた終わりの時がくる。
イスカーチェリ、BAMU、科学魔界という三つのファンジンの合同誌である『SFファンジン57号』で田波正の追悼特集が行われたのだ。
特集記事は殊能将之と結びつける内容ではなかったし、覆面作家の本名を書いてしまうのはルール違反、もしくなマナー違反だとは思うのだが、しかし、僕は殊能将之の本名が田波正であると思っているのでこういうふうに書くことにする。
とこんなことを書いておきながら、実を言うと恥ずかしながら『ハサミ男』を読んでいなかった。いや正確に言うと、物語の中でハサミ男が死体を発見する付近まで読んで、そこで中断したままだったのだ。
というのも、読む前にネット上でうっかりとメイントリックを知ってしまったからで、その時点で読んだ気分になってしまったし、さらにはその当時は今ほど本を読むことに熱心ではなく、とりあえず買うだけ買って読まずにそのままにしている本が多かったせいもある。
しかし、その後の作品はしっかりと読み続けていたので、『ハサミ男』が中断したままというのは心残りでもあり、いつか読まなければいけないなという気持ちは少しはあった。
そして、殊能将之が新作を発表しなくなって久しくなり、twitterでの本人のつぶやきも途絶えがちになって、『ハサミ男』を読むならそろそろだなと思っていたら訃報に遭遇した。
それからしばらくして、講談社が殊能将之の長編、全作品を電子書籍化したので、ようやく『ハサミ男』の続きを読み始めた。
殊能将之の死因は明らかにされてはいない。遺族も公表していないし、だからこの先も死因は明らかにされることはないだろうと思う。知りたいという気持ちが全くないわけではないが、知ったところでなにかが変わるというわけでもないだろうし、自分自身を納得させるためだけにしかならない。
ただ、ウェブ上に残された様々な記録を寄せ集めるとひとつの答えが出てくる。もちろんそれが正解なのかどうかはわからないし、何も知らない第三者がうかつに書いていいことでもないのだが、その答えから抜け出すことができない状態でもあるのだ。
いろいろなところで書かれた殊能将之の追悼記事を読んで、他者からみた殊能将之という人物像が以前よりあきらかになってきた。
そうした人物像を踏まえた上で『ハサミ男』を読むと、どうしても主人公であるハサミ男と田波正という人物が重なって見えてしまう。

と、こんな文章を書き上げておいて数ヶ月がたってしまったうえに「ハサミ男の秘密の日記」なるものまで公開された。内容は友人に当てた私信でありながらも私信の域をはみ出している内容であり分量であり、文章として何かを残すということについてあらためて考えさせられた。


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