医療保護入院という制度

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昨日の記事にコメントを頂いた。
救われるようなありがたいコメントだったのだけれども、昨日の記事の最後の言葉は、昨日の記事に書いた事柄だけで思っていることではないのだ。

妻を苦しめている要因は病気による様々な症状だけではない。
時折、妻を苦しませるのは、精神病院のしかも閉鎖病棟へ、もっとも信頼する人間だった僕によって自分の意志とは無関係に入院させられたということと、結果として自分のことを信じてはもらえなかったということの二つの点だ。
精神科への通院を促したり、付き添って診断を受けたりはしたものの結果として薬による治療を拒んでしまった妻に対して、僕は医療保護入院という行為を行った。
医療保護入院というのは精神保健福祉法によって定められている制度で、精神科の治療が必用な状況でありながらも入院することを拒む当事者に対して、本人の意志とは無関係に入院させることができる制度だ。
もちろん、入院させて治療を受けさせることが良い方向へと向かうと信じて行ったことだったのだが、と、こんなふうに書いてしまうと、今現在、医療保護入院をさせようか悩んでいる人たちを更に苦しめる結果となってしまうのでものすごく辛いのだが、僕達夫婦の場合、必ずしも良い方向へとは向かいはしなかった。もちろん、厭な記憶も苦しい記憶も時が経てば薄れていくこともある。今は無理でもいつかは苦しい記憶から開放される時が来るのかもしれない。
僕が妻を入院させた時は改正前のことだったので、保護者である僕の判断で妻を入院させた。改正前の制度における保護者というのは後見人や家族などから定められた一人の人物のことを指す。しかし現在は改正され、必ずしも保護者の同意は必用ではなくなり、配偶者や親権者、後見人、扶養義務のある親族の誰かが同意すれば医療保護入院が可能となった。これがどういうことになるのかといえば、改正前よりも簡単に当事者を本人の同意なしに入院させることができ、その責務も一人の人間だけが負わなくても良くなるということだ。
医療保護入院というのはさせられたほうも辛いが、させたほうも辛い。今でも僕は妻を医療保護入院させた日のことは忘れることができないし思い出すたびに苦しくなる。
改正前の制度も悪い部分は確かにあった、しかし改正後の制度が良い方向へと向かったのかといえば必ずしもそうではない。
妻のように、いつ、自分の意志とは無関係に強制的に入院させられるかと通院のたびに怯えている人にとっては、より一層恐ろしい制度と化している。

道路交通法の改正もそうだ。
てんかんの患者の起こした事故が引き金となって、免許更新時に病状を虚偽申告した場合の罰則が定められた。そして、この病状の中にはてんかんだけではなく統合失調症も含まれる。精神障害というのは繊細な対応が必用な事柄で、対応する側もそれなりの知識と配慮を必要とするし、してほしいと思っている。障害を持っているということを他者に話すということは気軽にできる簡単な事柄ではない。

こういう出来事をニュースで知るたびに、僕のような当事者を支える家族はもっと注意を払って悪い制度に対して声を上げていかなくてはいけないじゃないかと思い反省と後悔をしている。

何もしないという行為をしたことで誰かを苦しめているのだ。


いろいろな事情と思うところがあってもうひとつブログを作りました。 新しいブログで書いていることは、他愛もない書きなぐりの文章になってしまっていますが、興味のある方は新しいブログの方も見てやってください。 もうひとつのブログ --> abandonné cœur.

 
この記事へのコメント
負い目や後悔をしていて とても偉いなと思いました。それほど気になされてたんですね・・・いつの日か 奥さんもきっと理解してくれると思います
Posted by higa higa at 2014年05月09日 20:26
higaさん、ありがとうございます。
理解してもらえることは、おこがましすぎるきがしてさすがに望まないことにしています。
Posted by TakemanTakeman at 2014年05月09日 23:12
 
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